第32回モスクワマラソンとバルト三国の旅 武藤 翔峰 平成24年10月1日
|
9月12日(水) 晴れのち雨 9月13日(木) 晴れ 9月14日(金) 晴れ 9月15日(土) 晴れ 9月16日(日) 晴れ 9月17日(月) 晴れ 9月18日(火) 晴れ |
朝5:30に起き、地下鉄ウラジミール駅まで歩き1号線プロスペクト・ヴェチェラーノフ行きに乗車、3番目のバルチースカヤ駅で下車、ここにエストニア・タリン行きの高速バスの乗り場がある。予定通り7:15のタリン行きバスに乗車、9:30に国境の町、ナルヴァに着いた。全員ロシアからの出国のためパスポートコントロールを受けるが日本人の私はマルチビザということもあってか、大変時間がかかる。その後デューティフリーショップで10分間の時間がありウイスキーとコーラを買う。次にエストニア入国のためのパスポートコントロール。パスポートを預けるシステムだ。厳重にパスポートコントロールされている印象を受ける。そこからエストニア・タリンに向かってどんどん進む。途中2回トイレ休憩が有り、予定より40分ほど早くタリンに到着、時差は更に1時間広がって6時間となる。そこからユースホステルのモンクスブンクへ行くためバス17Aに乗る。運転手に下車するため、‘Vabaduse
valjak’と書いたメモを示し下車駅を教えてもらった。 タリンはエストニア共和国の首都で、人口約40万人の町。中世はハンザ都市として栄え、1991年、ソヴィエトが崩壊し、再び独立を果たしてから、タリンは著しく発展し、2004年の欧州連合加盟後もその発展は留まるところを知らない。タリンは中世の趣きとモダンな雰囲気が調和した美しい町だ。世界遺産に登録されている旧市街が観光のメイン・スポットとなっている。他の800年の歴史を持つ街の様に、タリンも歴史的なエリアで作られたパッチワークの様な街。 地球の歩き方の地図を頼りにモンクスブンクを探すが見つからない。どうも地図が間違っているようだ。若い男性にアドレスを示して尋ねると違う場所を教えてくれる。それでようやくモンクスブンクに到着した。昼には少し遅いがカップラーメンとビールでお腹を満たし、明日の下見を兼ねて少し街の散策に出かける。スーパーマーケットにも出かけ今晩の夕食とビールを買ってきた。美味しそうな寿司(600円)とサラダ(100円)肉(150円)。3時過ぎから雨となった。風邪もすっかり治り体調は良い。今晩も早めに休み明日の足りんの街を楽しもう。 |
朝はゆっくりするつもりだったが、6時には目が覚めてしまう。今日は1日タリンの観光だ。朝一番にフロントでバスセンターへ行く方法を尋ねたが、朝早いこともありタクシーで行くことを勧められる。5Eとのことなのでタクシーで行くことにして配車を依頼。朝食(トースト、牛乳、ハム)を済ませ8時過ぎにホステルを出発、まず、シティホール周辺の旧市街地で撮影を行う。旧市街はねじれた石畳の小道と鉄でできた街灯。ゴシック調の尖塔と中世の市場。カプチーノとワッフル。これがタリンの有名な旧市街だ。タリンを象徴する歴史的な雰囲気と最先端の文化のミックスがここにはある。タリンがハンザ同盟のメンバーとして盛んに参加していた13世紀から16世紀にかけて設立されたこの街は、カラフルな切り妻付きの家、隠れた中庭、そして雄大な教会を見る観光客の最大の目玉。これらを囲む見張り塔が点々と建つ城壁は、街に更におとぎ話の様な魅力を与えている。
絵の様に美しい旧市庁舎広場は8世紀にわたって市民にとって必要不可欠な場所としてたくさんの役割を果たしてきた。かつての商人達の館に囲まれ、夏になるとカフェテーブルでいっぱいになるこの広場は自然と大勢の観光客を寄せつける。主に市場やお祝い事に使われた広場だが、最低1回の処刑があったことも記録されている。広場の真ん中にはバラのコンパスが彫られた丸い石がありる。そこから少し背伸びをすると、旧市街の5本の塔を全て見ることができる。広場の東側を陣取る旧市庁舎は1402年から1404年にかけて建てられた。現在この建物は北欧で唯一中世からそのままの姿で残されたゴシック式建築物。64mある塔の先をよく見ると「トーマスおじさん」と呼ばれるタリンのマスコットである風見計がある。現在広場は街の中心で、野外コンサート、手工芸や中世の市場などが頻繁に開催されている。毎年冬になると設置されるクリスマスツリーは1441年から続く伝統で、同時に開かれるクリスマス・マーケットにもたくさんの人で賑わう。春になるとモダンな中世のカーニバル、「旧市街祭り」が開催され、様々な中世の伝統を体験することができる。広場で有名な建築物は旧市庁舎と市議会薬局だ。 次に展望台に移動、素晴らしい町並みの展望が一望できる。観光客にお願いして何枚か写真を写す。展望台は3ヶ所あり全て訪れて写真を撮影した。そのうち、10時をまわったのでシティホールに行くことにした。途中のアレキサンドルネフスキー聖堂に入り、礼拝、シティホールの塔に登った。昼近くなったのでホステルで昼食を摂ることとしスーパーマーケットで買い物、パエリア風炊き込みご飯(200円)、サラダ(100円)、デザート(100円)でお腹一杯となる。食事はスーパーの惣菜売り場で好きなものを買って食べるのが一番、お寿司も売っていた。 午後は聖オレフ教会に行く。1549年〜1625年に、この13世紀の教会は世界で最も高い建造物だった。しかし、その巨大な159メートルの尖塔は、おそらく接近する船舶のための道標として作られたものと思われるが、実に効果的な避雷針でもあったことが判明した。この教会の歴史を通じて、その尖塔は繰り返し雷に打たれ、完全に焼け落ちたことも3回あった。124メートルとより小型になったものの今日でもこの尖塔は、タリンの建造物のほとんどを小さく見せ、街の重要なシンボルとして存続している。4月から10月にここを訪れる人は尖塔の石の部分の頂上に上って旧市街( Old Town)、Toompea丘、そして港の目もくらむようなすばらしい景観を目にすることができる。 教会そのものの起源は少なくとも1267年にまで遡り、この地域に住み着いたスカンジナビア商人たちのために建てられたものと思われる。様々な伝説ではこの教会の名前はそれを建てた巨人または謎めいた見知らぬ人に由来するとされているが、実際にはノルウェーのオラフ2世(King Olaf II)に捧げられた。現在の形とサイズは16世紀に決まった。内部には高くてアーチ形天井の身廊があり、その歴史主義的内装は1830年の火災後に始まる。 数分前に雨に降られ少し濡れたが、塔の上に登る頃にはすっかり晴れていた。入場料は2E.。狭い階段を何段も登る塔、苦労して登る価値は十分にある。360度なんと素晴らしいちょうぼうか、特に旧市街地の佇まいは見ごたえがあった。 4時過ぎにスーパーに行き、寿司(600円)、サラダ(100円)、チキンカップラーメン(150円)を買う。何日もこちらにいると日本食が恋しい。少し寒いので今日はビールよりスコッチウイスキーにしよう。日本酒があればいいのだが残念ながら置いてなかった。ホステルのパソコンは、メールやJogNoteのチェックはできるが、日本語変換できないので書き込みはできない。明日も移動日で朝速いので、今日も早めに寝る。 |
朝5時に起床、トースト、ハム、牛乳、ティーの朝食を済ませパソコンをチェック、チェックアウトの時デポジットしていた5Eを貰い、6時には迎えのタクシーでバスセンターに向かう。リーガ行きのバスが1台止まっている。私の乗る6:30発のバスだ。Luxのバスはここへ来たSimpleのバスよりずっとデラックス。それもそのはず、Simpleのバスは5Eだったが、今日はラウンジという席で27Eだ。座席も前列は4列だが、ラウンジは1列、1列の2列、航空機で言うとファーストクラスだ。キャンディと飲み水のサービス付き、値段の差は十分にある。定刻7時にバスは出発、やはりラウンジ席だけあって乗り心地は抜群、1列シートなのでゆったりできる。1時間ほど走って5分の休憩、途中エストニアからラトビアの国境を越えたが、なんのチェックもなくそのまま国境の関門を通過し走り抜けた。1時間ほど走るとバルト海らしき海岸線を走ったのでどこを走っているかチェックするためガーミン110のサテライト探索を作動させ、スタートボタンを押す。時速96kmで走っている。1分間のラップが380m、10分で16km進んだので時速96kmだ。 定刻通り:25にリーガに着く。ラトヴィアの首都リーガは、歴史と文化の香る世界遺産の街。800年もの間、貿易の交差点として栄え、いろいろな国の商人たちが様々な文化を持ち込んだことから、独特な雰囲気を醸しているのがリーガの魅力。「リーガ歴史地区」として世界遺産に登録されているリーガの旧市街では、ロマネスク・ゴシック・バロックなど、複数の建築様式が見られる。リーガ城やバルト海にそそぐダウガヴァ川、活気あふれる中央市場や内装が素晴らしいラトヴィア国立歌劇場(オペラハウス)も見どころ。また、ユーゲントシュティール(アールヌーボー)調の建物が何百棟も建ち並ぶアルベルタ通り界隈も必見だ。 バスステーションの中にあるインフォメーションでドームホステルの場所を尋ねると地図で分かりやすく教えてくれる。途中鳥焼きどん3.5リッツ(450円)ビール1.5リッツ(150円)の日本食レストランで昼食を食べる。地図を見ながら歩きドームホステルに辿り着く。2時からチェックインなのでそれまでスーパーマーケットで夕食の買い物、ピラフ風焼き飯、サラダ、揚げ魚、ビール、牛乳計3.16リッツ(400円)を済ませチェックインする。 夕食まで時間がるので聖ペテロ教会の塔にエレベーターで上がり、リーガの街を一望した。聖ペテロ(ペーテラ)教会は1209年に建てられた代表的なゴシック様式の教会。1523年まではカソリック教会として使われていたが、いわゆる宗教改革の時に改宗され、ルター派の教会となった。第二次大戦まで木造としてヨーロッパ一の高さを誇った塔は1666年に倒壊し以後6回も火災に遭っている。修復の度に、塔に取り付けられた雄鶏の上から建築責任者がグラスを落とし、砕けたガラスの数で塔の寿命を占ってきた。1746年に現在の形に完成された時には偶然通りかかった荷馬車のわらの上に落ち、一箇所欠けただけで終わってしまい不安に駆られたと言う。第二次世界大戦中の1941年に砲弾を浴び再び倒壊した。1971〜1973年に再建された際エレベーターが取り付けられて今では70mの塔から美しいリーガ市街地を一望できる。 その後、街をぶらぶらし明日乗る遊覧船の値段(5リッツ、700円)と時間を確認、ブラックヘッドの会館はサミット開催のため近づけなかったが写真は撮影した。市庁舎の向かいにあるギルド館。リーガ800年祭にあわせてリーガの華かだった時代の建物をそのまま復元させた。夜はライトアップされ、とても美しい。 ホステルに戻りシャワーを浴び食堂へ行くと日本人らしい人がいる。ドイツ留学中の西宮の大学生高田さん、22歳、今夏休みで見聞を広げるため各地を一人旅しているとのこと。外国へ留学して自分を鍛えようという若者が少なくなってきている昨今、目的意識をもって生きている数少ない感心できる若者だ。ただぶらぶらと酒と観光、マラソンを求めてフラフラしている私とは心構えからして違う。大いにその心意気に共感し二人でスコッチウイスキーを飲み、久しぶりに話す日本語で語り合った。 |
朝は7時過ぎに起き、メールチェック、今日の行動の調査のあと9時過ぎにホステルを出る。遊覧船は10時から出発と聞いていたが誰もいない。そこでブラッドヘッドの会館で写真撮影後、先にリーガ大聖堂に向かう。リーガ大聖堂は、1211年から建設され、その後修復が重ねられて、今日の姿になる。そのため、ロマネスクからバロックにいたる様々な建築様式が混在している。
見所はリーガの歴史を描いたステンドグラスで、「ティゼンハウゼン一家と聖母マリア」、「アルベルト僧正による大聖堂の創設」「1525年リーガ市長に信仰の自由の宣告書を渡すリヴォニア騎士団長プレッテンベルグ」、「1621年のスウェーデン王グスタフIIアドルフを迎える大聖堂前のセレモニー」などのシーンが描かれている。またこの大聖堂のパイプオルガンも、16世紀に起源する歴史のあるもの。現在は教会としての活動の他、コンサートホールや博物館としても利用されている。これらを見学したあと遊覧船に乗る。1時間ほどのダウガヴァ川のボートクルーズの後、チーズバーガー、日清カップラーメンの昼食を食べ、午後は聖ヤコブ教会に行った。聖ヤコブきょう会は年に最初の記録が登場する古井教会。15世紀に立て直され、塔は80mの高さがある。エレベーターで塔の上まで登り街並みを眺めた。そこを出る頃から雨となりスーパーマーケットに行き、寿司、ピラフ、サラダ、ビールなど夕食600円程を買った。今晩も昨日会った高田君と一緒にスコッチウイスキーを飲んだり寿司を食べたり、楽しく歓談した。一人旅は時々話し相手が欲しくなるもの、ちょうどタイミングよく話し相手がいた。 明日も朝は早いので夜は早めに寝る。 |
朝は5時半過ぎに起き、朝食を食べホステルを出発、7:00のヴィリニス行きのバスに乗る。実はこの時、カメラのバッテリーと充電器をAC変換プラグ付きでユースホステルのコンセントに差し充電中であったが、回収するのを忘れてしまった。今回の旅の失敗は、1回目は日本からの持ってくる荷物で三脚のアタッチメントとAC変換プラグを忘れたこと、2回目は赤の広場で撮影中、バッグを道路上に置き忘れたこと(警察官が知らせてくれて事なきを得た)、3回目はウエストバッグをユースホステルに忘れてきたことに続くこれで4回目だ。この先一体どうなることか、先が思いやられる。 バスは今日もラウンジで快適な1列シートのデラックス、ファーストクラスだ。予定通りヴィリニスに10:55に着く。インフォーメーションセンターでカウナスについての情報(バスの発車時刻、プラットフォーム、料金、時間など)とホステルの場所を聞く。明日は36プラットフォームから8:10発、20L、1.5時間かけてカウナスの杉原千畝記念館を訪ねよう。 それからホステルに向かう。最初に目に入ったホステルではなく、もう少し行ったAホステルだ。その従業員だという若い女性が親切に近くまで連れてってくれる。ヴィリニスがバルト三国に最後の滞在なのでシングルを奮発したが、ゆっくりできて大変快適だ。料金もシングル1泊2200円程度なのでこれからはシングルの選択肢も大いに考えよう。少し落ち着いてからスーパーマーケットを偵察、色々美味しそうな惣菜も沢山有り、あとで夕食などを買うことにして、今日の観光はまず夜明けの門に行き、そこから続く聖テレサ教会、聖三位一体教会、精霊教会を訪れ撮写真影、さらにどんどん歩き大聖堂に着く。そこでも撮影し更にケディミナス塔に上がり街並みを眺める。リフトは2Lだったが節約して上り下りとも歩いた。塔の上から聖アンナ教会の素晴らしいゴチック建築を確認し、次にそちらに向かう。写真を何枚か撮っていると地元の写真家という男性に誘われ新しいビルの竣工式と本の販売・展示会会場に案内してもらった。一人旅ではこのような地元の人々との楽しい交流もよくあることだ。時間はもう4時半を過ぎていたのでさっき偵察していたスーパーに行き今日の夕食(鶏肉:3.24L,魚フライ:1.67L,野菜サラダ2.74L、ビール1.89L計9.54L330円)この夕食が330円とは実に安い。明日に備えて今日も早めに寝よう。 |
朝6時過ぎに起床、トースト、ハム、牛乳、ティーの朝食を済ませ8時10分のカウナス行きに乗る。1時間半でカウナスに到着、方向がよく分からなかったのでバスセンターとなりのホテルのフロントの女性に杉原千畝記念館の場所を尋ねると親切に地図で示しながら教えてくれる。その通リに進むと長い石段がある。そこであった女性にさらに聞くとこの階段を上って行けという。しばらく行くと”Vaizganto”通りに出る。番地の30を頼りに探し無事杉原千畝記念館に着いた。大きな観光バスが留まっており昭和女子大15人のグループだという。早速中へ入ると親切に係員が英語で案内してくれた。杉原千畝、本当に素晴らしい人だ。命のビザを本国の指示に反して発給し続け1600人分のビザを発給、6000人のユダヤ人の命が救われ、日本よりイスラエルやリトアニアなど海外での評価の方が大きい。偉大な岐阜県人、杉原千畝を誇りに思う。 杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。 1900年(明治33年)1月1日、岐阜県加茂郡八百津町に生まれる 。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓命に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。海外では、「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 戦後1947年、幸子夫人と二人の子供を連れて日本に引きあげてくるが、帰国した杉原を待っていたのは独断でビザを発行したことの責任による外務省からの解職だった。 1969年、難民時代に杉原が助けたバルハフティク・イスラエル宗教大臣から勲章を受ける。 1974年に「イスラエル建国の恩人」として表彰。 1985年には「諸国民の中の正義の人」としてイスラエル政府から表彰されている。 この翌年、1986年死亡、享年86歳。 千畝によって、ナチス・ドイツから逃れることのできたユダヤ人が、「命の次に大切」と語る『命のビザ』などを展示する”杉原千畝記念館”が平成12年に岐阜県八百津町にが建設された。 約2時間ほど過ごしヴィリニスに戻ってきた。往復のバス代は、40L(1200円)だった。午後はヴィリニスの街をのんびり散歩、夕日に染まった良い写真が沢山撮れた。しかし、カメラの充電器を置き忘れて来たため、乾電池を買って写しているが消費が早く困る。充電池のありがたさをしみじみ感じる。 明日はいよいよサンクトペテルブルクへ戻る日。夕食は今日もスーパーマーケットで惣菜を買ってきて自炊。鳥の足の丸焼き:5.79L,魚フライ:3.12L,野菜サラダ2種類:5.14L,計14.05L,560円だった。 疲れが残らないよう今日も早めに寝る。 |
昨日寝ている時に18:30発のバスの出発を12:30に早めてホステルに忘れたバッテリー充電器をとAC変換プラグを取りに行くことを思いつき、早速8:00にLUXのチケット売り場に行き、12:30初に変更してもらった。リーガ着は17:00だから取りに戻る時間は十分ある。そして、リーガからサンクトペテルブルクまでの席もラウンジに変更してもらう。10Euroの追加であったが、車両も座席も最高だという。我ながら自分のグッドアイデアに感心する。午前中は昼食の買い物と市庁舎付近の散歩、写真撮影過ごす。 12:30にバスは出発し予定より20分ほど早く着いたので、次のバスの出発まで2時間ほど余裕がある。ゆっくり歩いてドームホステルに行きバッテリー充電器を忘れた旨告げ、充電していた場所に行くとそのままコンセントに刺さっていた。あった!あった!良かった!と大きな声を出しながら、バッテリー充電器を取り戻すことができた。本当にラッキーだった。ホステルの人も気がついており、誰も外さないので不思議に思っていたという。少し時間があったので聖ペテロ教会とブラックヘッドの会館を撮影し、前回も昼食を食べた日本料理屋で照り焼き丼5.7Lとビール1.5L、7.2L(980円)を食べ18:45発のバスに乗った。これでパソコンの充電と写真撮影は問題なくなった。明日は早朝にサンクトペテルブルクに着く。ゆっくり休養しよう。 |