第33回ユーラシアマラソンとイスタンブールの旅 武藤 翔峰 平成23年10月27日
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いよいよ出発の日となった。移動がスムーズなスーツケースを新調したので、自宅から竹鼻駅まで約20分ゆっくり歩いていく。名古屋駅には9時過ぎに到着、バスの出発まで1時間待合室で待つ。以前は東京までの高速バスは、片道6,000ー7,000円かかっていたが、最近はピンクのバスやキラキラバスなどの競争が激しく、JR高速バスはネット割引含めて東京まで片道2,280円で行けるような時代となった。成田空港近くのスカイコート成田はジャランネットで1泊3、200円なので、新幹線で移動するよりも安くなる。新幹線などの事故で運行がストップしても前泊なら安心だ。最近の海外行きははほとんど成田空港発着のこのパターンが多い。中部空港発着の格安航空券があまり多くなく、フライトの種類も数も少ない。これからも私のひとり旅は成田空港発着となるだろう。 弁当は昼、夜と2食分作ってきたので買ったのはビールのみ、竹鼻ー名古屋、名鉄650円、東京ー成田空港第二ビル1,280円、海外節約の旅は国内からもうすでに始まっている。 ハイウエーバスは予定通り10:00に出発、東名高速が集中工事のため中央道に変更となったが、特に渋滞もなく予定通り16:00過ぎに東京、日本橋口に到着、16:35初のエアポート成田に乗り換え空港第二ビルから迎えのシャトルバスに乗りスカイコート成田には:40に到着、今年はここの利用は3回目、すっかり慣れたものである。夜は早めに9:00過ぎに就寝した。 |
朝7時前に起床、出発の8時50分までのんびり過ごす。シャトルバスでアエロフロートの第一ターミナルに到着、早速トルコリラの両替を行う。850TL→50,940円、レートは59.93円だった。(GPA外貨両替専門店、US$:74.03、Euro:100.59)荷物は21.5kg、シートは6Cで通路側だ。定刻より10分遅れで離陸、アエロフロートのビールは有料、3US$、2Euroだった。 途中30-40分ほど遅れ18:01分にモスクワ空港に着陸した。17:10着予定から約1時間遅れだ。降りてすぐにトランジェットカウンターに行ったが、18:30イスタンブール行きの接続便には間に合わず、23:10発SU205に変更となり、約4時間待ちとなった。490ルーブル(約1500円)の食事用バウチャーが出たので、空港のレストランで食事をする。モスクワは雨だ。それにしてもアエロフロート航空は良くない航空会社だ。遅れることについてなんとも思ってもいないようだ。接続が失われることに対してお客様に申し訳ないと思っていないのか。こういう顧客満足度の低い航空会社は二度と利用したくない。 今夜から泊まるイスタンブールのユースホステルのデニムに、到着が約5時間遅れ、深夜1時の到着になるので迎えを深夜の1時に変更して欲しいとの携帯メールをモスクワ空港から伝えていたが、OKとの返信があり一安心だ。搭乗寸前になってゲートが26→32に変更するという。32ゲートに移動するも20分前になっても搭乗が始まらない。そのいい加減さにうんざりしたが、これが世界の常識かもしれない。日本の常識はしばらく忘れなければならないようだ。グッドバイ、アエロフロート、最初で最後の搭乗となるであろう。 ・教訓 その1 安いからといってアエロフロートのようなレベルの低い航空会社は避けるべし。 ・教訓 その2 トランスファーの時間は3時間程度は見ておくべし。 イスタンブール空港、深夜1時50分に迎えのシャトルバスに会う。2時5分に空港を出発し、2時40分にユースホステルArt Apartに到着した。町は狭く古いところであったが、ユースホステルは清潔で広いひと間が与えられた。何よりもオーナーのデニムが良い主人で、親切で暖かくホスピタリティー(おもてなしの心)に富んでいる。メールで深夜1時の到着変更を伝えていたが、バッゲージピックアップ中にインフォーメーションからの案内放送もあり、迎えにきてくれていることが分かった。携帯メールで連絡をとったことが大正解で、一時はイスタンブール空港での夜明かしも覚悟したがそれは杞憂に終わった。 しかも費用は約束通りの額で深夜になったことによる割増料金は一切なかった。トルコの人は本当に親切である。 夜は深夜3時の就寝であったが、安心してぐっすり眠れた。 |
朝6時過ぎに目が覚める。あまり寝ていないが体調は良い。予定通り自炊の朝食(日本から持ってきたヤマザキの食パン2枚、ハム、コーヒー)を食べ、7時半と少し早めに観光に出発した。 まずヒッポロドームに行く。ローマの大競技場跡。かつてはここで戦車競技が行われていた。現在は3本の柱が建つ広場である。一番南側にある高さ25.6mの石柱には、ヒエログリフなどが刻まれている。真ん中に位置するのが、途中から折れた高さ8mの青銅製の蛇の柱。一番奥の切石積みのオベリスクはコンスタンティヌス7世によって造られたものとされる。 そこからブルーモスクの名で知られるスルタンアフメット・ジャーミィに行く。旧市街の観光の中心で、壮大なその姿はイスタンブールの象徴でもある。6本のミナーレと高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームをもつ。6本ものミナーレをもつイスラーム寺院は世界でも珍しい。重厚なその姿は、オスマン朝建築の傑作のひとつとして高い評価を得ている。 そこで写真など写し次にアヤソフィア博物館に行く。前の広場はマラソンシャトルバスの出発地だ。しっかり確認しておく。 ここはイスタンブールの観光ポイントのなかで第一の評価を得ている最も重要な場所である。360年にコンスタンティヌス2世の時代に完成し、537年からビザンチン様式の聖堂として再建され、ビザンチン帝国時代が終わりを告げるまでギリシャ正教の総本山だった。1453年、コンスタンティノープル陥落後、メフメット2世によりジャミイに改められ、モザイクは漆喰に塗りこめられた。トルコ共和国となった1934年にアタチュルクによって博物館として開放されるという数奇な運命を辿ったアヤソフィア。漆喰が取り除かれ、ビザンチン時代のモザイクが甦ったのは博物館となったあとのことである。 次にトプカプ宮殿に向かう。マルマラ海を眼前に、ボスポラス海峡をも望む小高い丘に建てられた宮殿。15世紀の半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力をもっていたオスマン朝の支配者の居城として建設された。70万平方kmという広大な敷地をもつ宮殿自体がひとつの町といえる。敷地内には議会やスルタンの居室はもとより、側室の女性たちの部屋も備えたハレムもある。ちょうどお昼になったので宮殿の中のレストランでドネル・ケバブを食べる。 次に向かったのは国立考古学博物館だった。トプカプ宮殿の第1庭園の北側にある。トルコの遺跡は、オスマン朝時代に英・仏により発掘調査が盛んに行われ、発掘品の大半は両国の博物館に収められているが、1881年以降の出土品はおもにイスタンブールに集められている。アレキサンダー大王の石棺をはじめとした、ギリシア・ローマ時代のコレクションは世界的にも評価が高い。 最後に地下宮殿に行った。イスタンブールの旧市街にある地下の貯水池で、4世紀から6世紀に造られたものとされている。ビザンツからオスマン朝時代にかけ、ここは周辺地域の主要な水がめだった。全体は縦140m、横70m、高さ8mほどで、内部を支える柱はコリント様式。薄暗い宮殿の一番奥に、ここの目玉であるメドゥーサの顔が2体横たわっている。 以上の見学で3時半を過ぎ大分疲れたので今日はここまでとし、ビールを買って戻り夕食はカレーライスを自炊した。今日は早めに寝て十分に休養を取ろう。8時過ぎに就寝した。明日はゼッケンピックアップとマラソンエキスポだ。 |
今日は朝から小雨が降っている。スルタンアフメット駅からトラムに乗るために駅に向かう途中、観光代理店に寄って色々話を聞いた。カッパドキアツアーは155Euroだという。ホテル1泊、バス2泊の3泊4日のツアーだ。日本で予約するのと1万円ほど安い。 駅はすぐ分かった。2TLを券売機に入れチケットを買う。最終のカバタッシュまで行き、そこでメトロに乗り換えタクシム広場に行く。そこから歩いて約30分、エキスポ会場に着く。1219のゼッケンを受け取り、ロングシャツ25TL、ロングタイツ15TL、ヘッドウエア15TLなどを買う。ノルエー、トロムソよりかなり安い。ちょうどお昼になったので無料サービスのパスタを食べる。塩味が効いていてとても美味しい。 さて、ここから新市街の観光を楽しもう。まずガラタ塔へ行こうと思って、Tunel駅まで電車に乗ることにした。そこへ行くには2通りの方法があり、ひとつは路面電車トラムで行く方法と、地下鉄で行く方法だ。トラムとメトロでは同じ駅でも呼び方が違う。例えて言えば、JRの大阪駅と地下鉄の梅田駅のようなものだ。これがトラブルの元となった。地下鉄でいくらTune駅を探しても見当たらない。駅員に聞いてやっと地下鉄で行くにはシシャーネ駅いきに乗らなければならないことを知りやっとシシャーネ駅に着いた。そこを出ると小さな路地が入り組んだ複雑なところに出た。磁石(方位計)と地図を見ながらガラタ塔を目指したが、このとき大失敗を犯した。実は方向が全く反対のタクシム広場に向かって歩いていたのだ。1時間以上写真を撮りながら歩き続けが、ついたところは下のタクシム広場だった。 今度は外の見える路面電車で行くことにした。正規の窓口で買えば3TL,切符売りから買えば3.5TL,正規の窓口で買った。路面電車に乗り今度こそTunel駅に着き、ガラタ塔に向かって海に下る坂になっていた。途中商店街を通ったり地元の人たちに振れあったりした。途中バスと乗車の交通事故にも出会った。 ガラタ塔から見る景色は素晴らしいものがあり、一見の価値がある。ガラタ塔を降り、散策しながらガラタ橋を渡る。多くの釣り人が橋の上で釣りをしており、釣果もそこそこだ。まな楽しそうに釣りを楽しんでいる。定年後の悠々自適のひとときをここで過ごしているのだろう。ガラタ橋のたもとの広場には有名なサバサンドやトーモロコシを売っている。焼いたサバをやサイト一緒にパンに挟んで食べるのだ。今日は1TLのトーモロコシを食べた。 そこから地下道を通って行ったが、両側にはお土産屋が沢山あり安い土産を売っている。孫たちの土産はここで買おう。地下道を渡るとエジプシャンジャーミーの広場だ。ここの路面電車のエミノニュ駅からスルタンアフメット駅に戻る。途中のレストランで今晩の夕食のシシ・ケバブ、チキン・ケバブ、サラダ、パンの詰め合わせ10TLを頼みテークアウトする。 ユースホステルでは同宿の人たちとワインやビールを飲みながら色々話をした。1組みのロシアのカップルはロシアに住んでいるがカップルで妻がロシア人、夫がアメリカ人で妻がアメリカで留学中に知り合い結婚、2ヶ月の子供を両親に預けハネームーン中とのこと、もう一人はパリから来ている青年、パリにいる彼女のために色々買い物した土産を見せてくれた。私はゼッケンやマラソンエキスポで買ったものを見せた。日本から持ってきた浮世絵の手ぬぐいをプレゼントすると大変に喜び美しいと大評判、このお土産は大変効果があると再認識できた。みなに持ってきた焼酎も振る舞い美味しいおいしいと言って飲んでくれた。 明日はレース前日なのでボスポラス海峡クルーズとエジプシャンジャーミーへ行き、早めに帰りオニギリを作ろう。 |
朝、今朝は7時前に起床、コーヒーを沸かしパン、バター、ハムの朝食、9時前にユースホステルを出発し路面電車のサルタンアメフット駅まで軽くトレーニング、30分くらいで駅に着きトークン2TLを買う。本日も雨もようだ。先週はずっと天気が良かったとのこと、昨日、今日と雨で明日も多分同じような天候らしい。 エミノニュ駅で下車、ボスポラスクルージング(20TL)に乗船、スタートしてからボスポラス大橋が段々近づいてくる。明日はアジア側から出発してこの大橋を渡るのだ。橋に近づいたところで橋をバックに写真を写してもらう。そして、橋をくぐり次の橋に向かって進んでいく。岸の建物にはいろいろな種類の建物があり飽きがこない。スルタン・メフメット大橋を渡ったところで40分が過ぎUターンとなった。今度はアジア大陸側の建物を眺めことになる。やがて先程のボスポラス大橋もくぐり楽しい1時間30分のクルーズは無事終了した。 下船してからサバサンドを5TLで食べる。なかなか美味しいサバサンドだ。作ったり食べたりする雰囲気がトルコ風で良い。地下通路の両側には土産物屋が並び孫たちの土産を買う。そこを上がるとエジプシャンバザールが並んでいる。香辛料以外にも多くの種類のものを売っている。置物を土産に買う。アヤソフィア博物館を通り、昨日見れなかったスルタンアフメット一世廟を見学したあと、ユースホステルに戻った。おにぎり6個作り、ラーメンを食べる。明日のレースに備えて早めに就寝する。 |
いよいよマラソンの当日となった。予定通り5時半に起床、外を見ると小雨が降っている。寒くないようにロングタイツ、長袖シャツを着用、ビニール袋も被る。荷物は預けないので薄手の防寒用のコートを持っていくことにする。昨日作っておいたおにぎりを3個食べる。空腹対策としておにぎり2個とコッペパン3個をウエストバッグに入れる。6時間はかかるので空腹対策、防寒対策はしっかり準備しておこう。6時半過ぎにユースホステルを出発、シャトルバス出発のアヤソフィア博物館前に大勢のランナーが集まっている。バスに乗り込みスタート地点であるボスポラス大橋のアジア大陸側に向かう。 橋のたもとから300mのところからスタートだ。トイレを済ませたり、写真を写したりしたあと、スタート地点に並んでいたが吉田さんと一原さんというふたりづれの日本人に会う。福島の大森さんや鶴岡100kmの菊池さんたちと来ているという。お二人は別の場所で並んでいるようでお会いできなかった。暫く喋っているうちにスタート地点に移動、9:00に号砲が鳴りスタートとなる。今回は8km、15km、フル併せて110,000人の参加でそのうちフルマラソンは8,817人だった。このボスポラス大橋は普段は歩行者通行禁止だが、今日は無料開放のため大勢の人たちがウオーキングなどで参加しているのだ。橋の上でたくさんの写真を撮っていたため気がついてみたらかなり後方の方になってしまっていた。この大会は5時間版画制限時間で交通規制が解除のあとは歩道を通ることになる。 ボスポラス大橋のアジア側をスタートした後、ヨーロッパ側に渡り8kmのウオーキングのゴールを過ぎ路面電車の最終駅カバタッシュを過ぎた。そしてボスポラス海峡を左に見ながら走りガラタ橋をわたって右折、さらに海岸線を第一の折り返し地点に向かって走る。この段階で相当遅れランナーはマバラだ。このとき折り返してきた大森さんとすれ違う。第一の折り返しを折り返したあと、旧市内を突っ切り今度はマルマラ海の海岸線に出て第二の折り返し地点28kmに向かって進む。左側に海岸線を望み大変に景色の良いところ、3時間半位のペースのランナーがどんどん折り返してくる。こちら最終ランナーたちはパラパラと走っている。 28km付近の第二の折り返し地点を折り返し、今度はマルマラ海を右手に見ながら走る。ここは2.5kmごとに距離表示があり次の標識を楽しみにしながら進んでいく。トプカプ宮殿の城壁を左に見ながら走ると宮殿の広大な庭園に向かって左折するとやがてゴールが近づいてきた。ゴールのブルーモスク前に向かって最後の力走、6時間8分12秒で367回目、世界8大陸目の記念すべきゴールとなった。 ゴール会場はどんどん後片付けが進んでおり、完走メダルは貰えなかった。でも明日スタジアムで貰えるらしい。すぐにユースホステルに戻りシャワーを浴び、2時間ほど仮眠、起きると宿の主人が夕食を作っていてくれた。完走パーティーのようだ。チーズを巻いたパンと、ふんだんな野菜のサラダ、とても美味しい夕食で宿の主人の暖かさとフレンドリーなホスピタリティが感じられる。とても良いユースホステルだ。 |
夕べは早く寝たので時過ぎに目が覚める。今日から3泊4日のカッパドキアツアーに出かけるのでそれまで、昨日貰えなかった完走メダル、完走Tシャツの受け取り、荷物の整理、孫たちの土産の買い物などを済ませよう。 8時半過ぎにユースホステルを出てスポーツセンターにメダルとTシャツを貰いに行く。トラムでサルタンアフメットからガルタ橋を渡りからカラキョイ駅で降りメトロに乗り換えテュネル駅で降りる。そこから歩いてもすぐのはずだが、なかなか見つからずタクシーで5分ほど走りプールのあるスポーツセンターに着く。そこでネディムからもらったメモを渡し、メダルとTシャツを貰う。 そこからガルタ橋に向かって歩いて行く。途中の土産物屋で人形4体とバッグなど買う。これで土産は揃った。宿へかえって荷物の整理、あとは迎えのバスを待つだけだ。予定通り6時半に迎えのバスが来る カッパドキヤ行きのバスは予定通り21時にオタガルを出発。空いているかと思ったが、ほぼ満員の状態、スタートして間もなく手に香水のような液体を振りまくサービスと、コーヒー、ティー、コーラのサービスがある。2時間ほど走ったあと、大きな駅に到着、そこでまた大勢の乗客が乗り込んできた。あとは、3時間位お気にトイレ休憩があり、そのあと例の香水と飲み物のサービスがある。途中高速道路の渋滞に会い1−2時間は遅れているようだ。 |
渋滞に捕まったせいか7時半に着く予定が9時ころに最初の乗換駅に着く。そこでウルギャップ行きのワゴンに乗り換える。さらに30分ほど走ったあとツアー代理店の休憩場所に着き、しばらく休憩、お茶とお菓子が出る。10前にそこを出発しギョレメのツアー集合場所に向かう。ギョレメから正式にツアーのスタートだ。ガイドは若い陽気な女性、参加者は韓国人3人、日本人女性4人、うち2人はユーラシアマラソン完走者だ。途中からニホンジン男性1人加わり合計9人となった。本日はやっと青空の見える快晴となる。 本日見物したところをガイドさんに書いてもらった。 ・Uahisar castle ・Gavusin Village ・Gareme open air museum ・Avanos pottery making ・Monks valley ・imagination valley ・Urugup 天気が良く奇岩の風景も素晴らしく、本当に来てよかった。 ホテルは洞窟のSOSホテル、そこまで送ってもらい、早速ジャグジーを使う。料理人が手術のため夕食はできないという。万一のため持ってきたカップラーメンとサービスで貰ったパンと焼酎の水割りでディナーを済ます。 ただ、このカッパドキア3泊4日のツアーは、案内文によると「現地係員がお出迎え」など係員が色々お世話してくれるようになっているが、実際は私が自分ですべてのスケジュールを把握した上で、次はどこへ行くのか、次は何をするのか自分自身で理解、行動しなければ、置いてけぼりを食うようなシステムであり、全て安心してお任せするツアーではない。オルタガでバスに乗るときも、あるいはミニバンに乗り換える時も自分でユルギャップ行きのバスを探して乗らなければならない。 1日目のツアーが終わってもそのまま解散ということになり、SOSホテルまで黙っていても連れって行ってもらえることはなく、自分で交渉しなければホテルまで連れて行ってもらえない。 それらを考えてもカッパドキアの1日目の素晴らしいものであった。 |
本日も見物したところをガイドさんに書いてもらった。 ・Goreme panorama ・Derinkuyu undergraound city ・Nar lake ・Ihlara valley ・Selime monasty ・Pigeon valley 朝は6時半に目が覚める。SOSホテルはケープホテル(洞窟ホテル)と称するだけあって雰囲気は洞窟に作られたホテルのようだ。設備も整っていて清潔でジャグジーも広くゆったりと湯舟につかって10時間の旅の疲れを癒した。朝食も豪華なバイキングで久しぶりにゆで卵をたっぷり食べた。 いよいよ今日が最後の日、予定通り9:25昨日のガイド、ツバがホテルまで迎えに来てくれた。集合場所のギョレメに行くと昨日の日本人一人、韓国人女性二人に加えて日本人一人、スイス人二人、その他二人の9人で2日目のスタートとなった。今日から参加の人は一人7,000TL(3,500円)払っていた。イスタンブールからギョルメまでバス代5,000TL(2,500円、往復5,000円)、ホテル代など考えると現地でツアーを契約すれば、150Euro(15,000円)程度でも可能だと分かった。 最初のころは少し曇っていて風も強く寒く、どうなるかと心配したが地下都市を訪れたころから青空となり暖かくなってきた。Ihlara valleyでは、約1時間のハイキングを楽しんだ。緑がきれいで川沿いのため水の流れも美しく、ニュージーランドのミルフォードトラックのハイキングを思い出した。 ハイキングも終わりスープとビーフのメインディッシュの昼食となった。ゴール地点には迎えの車が待っており次のポイントに移動した。次に鳩の谷を見物、最後に土産物屋に寄ったのでスカーフを買った。ギョルメに戻り5時45分、そこで解散となった。イスタンブール息の帰りのバスは20:00に出発という。まだ時間があったので町の中を見物、ダブルハンバーガーをテークアウトした。8:15にバスは出発、来たときと同じくウルギュップでイスタンブール行きに乗り換え無事帰途につく。このときも誰も案内してくれる係員はおらず、自分でバスを探し自力本願で行動しなければならない。 |
いイスタンブールで30分くらいの渋滞に巻き込まれ、8時過ぎにイスタンブールに着いた。イスタンブールからスルタンアフメットまで無料のシャトルバスがあるとの案内であったが、この無料バスも自分で探す必要があった。バスに乗り込むとそのバスに若い日本人の一人旅の女性が乗っていた。今回は南アフリカに行った帰り、ストップオーバーでイスタンブールに立ち寄ったとのこと、ところがイスタンブールで悪質な客引きに騙され、辺鄙なホテルに誘導されてしまったそうである。トルコは親日的で良い国ではあるが、日本人だと分かると騙そうとする悪い客引きも多く、一人旅の人は十分に注意する必要がある。 今日はイスタンブール最後の日となったので、まだ行っていなかったグランドバザールに行く。想像以上に広いバザールですぐに迷子になってしまいそうである。 |
今日はいよいよ帰る日だ。空港のシャトルバスはネディムが電話で予約してくれ、8:50迎えのシャトルバスが到着、空港まで送ってくれた。帰りのフライト予定通り運行し、無事成田空港に帰ることが出来た。 終り |