第35回ユーラシア大陸マラソンとカッパドキアの旅 武藤 翔峰 平成25年12月7日
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11月12日(火) 晴れ 11月13日(火) 晴れ 11月14日(水) 晴れ 11月15日(木) 晴れ 11月16日(金) 曇り |
いよいよ出発の日となった。今回は、2年前にひとり旅で訪れたトルコ・ユーラシア大陸マラソンとカッパドキアを26人の走友たちを誘って訪れる個人旅行なので、準備万端整えて行くこととする。 幸い天候は晴れ、時々曇りで雨は降っていない。名鉄竹鼻駅までいつものようにスーツケースを引いて歩いて行く。中部国際空港までは1,430円。乗換の笠松駅で葛谷さん、寺嶋さんと合流する。16時36分発のセントレア行きに乗車、岐阜駅から高橋さんなどと合流する。 セントレアに着いてすぐネディハムの両替をする。300AEDで9777円(レート32.59円)だった。トルコリラは、日本でのレートは70円なので、トルコに着いてから50円で両替することにしている。800リラでは、16,000円の得になる。ドル、ユーロ以外日本であまり流通していない外貨両替の手数料は法外に高く、現地で両替すべきであることを今回勉強した。ネディハムも現地で両替すべきであるが、額が少ないこと、ドバイには夜遅くの到着で両替が困難なことより日本で両替していくことにした。 ここで無事全員の顔が揃い記念撮影、予定通り20:15から搭乗開始し、21:15に飛び立つ。安定飛行になってすぐディナーが出る。魚のメインディッシュにライス付き、ビールを飲む。その後4時間ほどのフライトで寄港地の北京に着く。ここで北京までの乗客を下ろし、アブダビ行きの乗客を乗せて1時間ほどで現地時間02:02に再びアブダビ目指して飛び立った。 アブダビに着くまで約5時間、それまで眠ることにする。 |
アブダビ空港には予定通り6:45に着く。トランスファーの案内に従って進みゲート41に行く。東條開始は:45からで945には定刻で飛び立った。日本とアブダビの時差は5時間、アブダビとイスタンブールは2時間、従って9:45出発、12:50着ということは、飛行時間は5時間だ。名古屋21:15発アブダビ6:45着は9時間30分プラス時差5時間で14時間30分の飛行時間だ。従って名古屋ーイスタンブールは19時間35分かかることになる。北京に寄港した分長くなっている。予定通り12:50に着き、入国審査、荷物のピックアップまで順調に行く。トルコのアタテュルク国際空港に着いてバッゲージクレームで荷物をコンベアから下ろすと、ポーターらしきトルコ人が数人いて我々の荷物を手押し車に無断でどんどん載せていた。それを見て、サービス料でも要求するのではないかと思い、荷物は自分で運ぶから下ろすように要求したが、下ろさずどんどんメンバーの荷物を無断で載せている。何度強く下ろすように言っても無視して載せている。そこで、運ぶのは無料か、有料か聞いたところ無料だとはっきり答えた。そこでやむを得ず運んでもらうことにした。そして迎えのミニバスのところで荷物を降ろし終えると、サービス料を払えという。さっき無料だと言ったではないかといっても言っても、それでも払えとひつこく要求してくる。そこで、普通の日本人なら少しくらいならと思ってやむを得ず払うのだろうが、私は断固払うのを断った。その最大の理由は、これからも日本人が同じように騙されて仕方なく払うという前例を残したくなかったからだ。最後まで断固払うのを断り続けようやく解放された。これが今回のトラブル1号となった。迎えのミニバスに乗り、ホテルまで送ってもらう。まずMidillis Art Apartmentに行きそこでBグループを降ろし、次にSultan apartmentに行った。 ホテルで1時間ほど休憩した後、近所の土地勘を養うためネディムに頼んで近所を案内してもらう。夜は近所のレストランで結団式を行った。そしてこれから1週間ほどお世話になるネディムに各自日本から持ってきたお土産を渡し、国際交流を図った。ディナーは魚、ビーフ、チキンなどのトルコ料理でビール、赤ワインもおいしく明日からの観光、レースなどを楽しみにしながら眠りについた。 |
今日は旧市街の観光だ。5時半過ぎに起き、ブルーモスク周辺をジョギングしてくる。晴れていて気持ちが良い。やはり汗をかくことが体にはいいのだろう。朝食は自炊で食パン、バター、ハムで日本から持ってきたもの。コーヒーはホテルの備え付けだ。 最初アヤソフィア博物館に行った。ここは、360年にコンスタンティヌス2世の時代に完成し、537年からビザンチン様式の聖堂として再建され、ビザンチン帝国時代が終わりを告げるまでギリシャ正教の総本山だった。1453年、コンスタンティノープル陥落後、メフメット2世によりジャミイに改められ、モザイクは漆喰に塗りこめられた。トルコ共和国となった1934年にアタチュルクによって博物館として開放されるという数奇な運命を辿ったアヤソフィア。漆喰が取り除かれ、ビザンチン時代のモザイクが甦ったのは博物館となったあとのことである。 次にトプカプ宮殿を観光した。マルマラ海を眼前に、ボスポラス海峡をも望む小高い丘に建てられた宮殿。15世紀の半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力をもっていたオスマン朝の支配者の居城として建設された。70万平方kmという広大な敷地をもつ宮殿自体がひとつの町といえる。敷地内には議会やスルタンの居室はもとより、側室の女性たちの部屋も備えたハレムもある。トプカプ宮殿の中にはレストランがあり、そこで各自好きなものを注文して昼食をとった。 そこを出て次に向かったのは、ブルーモスクである。正式な名前をスルタンアフメット・ジャーミィといい、旧市街の観光の中心で、壮大なその姿はイスタンブールの象徴でもある。6本のミナーレと高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームをもつ。6本ものミナーレをもつイスラーム寺院は世界でも珍しい。重厚なその姿は、オスマン朝建築の傑作のひとつとして高い評価を得ている。 そこを出て地下宮殿に行った。ここは、イスタンブールの旧市街にある地下の貯水池で、4世紀から6世紀に造られたものとされている。ビザンツからオスマン朝時代にかけ、ここは周辺地域の主要な水がめだった。全体は縦140m、横70m、高さ8mほどで、内部を支える柱はコリント様式。薄暗い宮殿の一番奥に、ここの目玉であるメドゥーサの顔が2体横たわっている。 最後にグランドバザールやエジプシャンバザールに行き、お土産や名産品など好きなものを買っていた。ディナーは、明日ベリーダンス付きの豪華な食事を食べるので今日は節約して、自分で好きな食べ物を選んで食べるレストランに行き、チャーハン、スープ、チキン炒めで10リラでおつりが来たが、おいしくお腹一杯になった。「空腹は最大のご馳走である」お腹がすいていると何を食べてもおいしい。今日はほとんど1日歩いていたが、色々体験できてとても楽しかった。 今回、イスタンブールのホテルは、ネディムに頼んで1泊2,000円くらいの安宿にした。案の定、鍵は開かない、開けるのに毎回苦労する、水がストップする、便器に便座がない・・・・・などのトラブルはあったが、他の客は居なくてほとんど貸し切り状態でキッチンやテラスは使い放題で楽しく過ごすことができた。 一方、Art Apartは、住民もいる建物で入口は共通であった。最初に到着した時ネディムが「住民も住んでいるのでなるべく静かに」と確かに言いって帰った。。 でも入口や部屋のキーが不具合と不慣れもあって数人で騒いだため、住民が不信感をいだいたのか?知らぬ間に警察官を呼んだ。やがて2人の警察官が部屋の入り口に来て我々に尋問をしはじめた。 思えば、最初は住民が不信顔で我々に言葉をかけたと思ったが、トルコ語で我々には理解できず、結果的には無視せざるを得なかったのである。警察官は少し英語ができ、我々の人数や滞在期間、目的などを確認し、住民に伝言した。住民の言い分は「うるさい!」とのことであった。確かに吹き抜けの階段やドア前テラスの声はよく響いた。我々も事に至った経緯を説明し、住民に今後は静粛に行動することで納得してもらい、喧騒を謝って和解できた。 パッケージツアーのように1泊1万円も払えば、豪華なホテルに泊まれるが、あえて安宿に泊まり色々体験できたのは、貴重な経験だったが、少し値切りすぎたかなという気もした。 |
今朝も海岸通りに早朝ジョギングに出かける。この海岸通りはマラソン当日、コースに指定されている。 9時過ぎにミニバスが迎えにやってきた。今日はゼッケンのピックアップと新市街の観光だ。マラソンエキスポまで少し時間があったので、ティールームでトルコ茶(タルキッシュティー)2.5リラを飲む。その後ゼッケンを受領し、エキスポ会場でマラソングッズなどの買い物をする。その後、新市街へ移動。最初新市街を見下ろすイスタンブール一の標高の高い丘にバスで登る。新市街の見晴らしは素晴らしく記念撮影を行う。ちょうどお昼になったので、丘の上のレストランで昼食を食べる。その後、タキシム広場でバスを降り、市内随一の繁華街、イスティクラール通りをぶらぶら歩く。さすが大勢の人たちが歩いている。やがてガラタ塔に着き、そこを登り市内を見渡してきた。さらにガラタ塔から坂道の商店街を通りガラタ橋まで歩き、迎えのバスに乗ってホテルに帰ってきた。 夕食は、素晴らしいベリーダンス付きのトルコ料理、60リラはずんだので、料理もベリーダンスも最高だった。 街一帯はレストラン街で多くの人たちが夕食を楽しんでいた。初めてベリーダンスを体験した。 |
今日は朝8時にホテルを出発し、明日朝の集合場所のオベリスク塔前を確認し、フルマラソンのゴールとスタート地点に行くシャトルバスの乗り場を確認した。その後、歩いてガラタ橋たもとのボスポラス海峡クルーズの乗り場に向かった。10時に出航するクルーズ船があり、切符を買う。出航までに少し時間があったので、15kmのゴール場所を確認するため、ゴール場所を往復した。クルージングのコースはボスポラス海峡にかかる二つの大橋をくぐり、Uターン、明日走って渡るボスポラス海峡大橋を確認した。2時間ほどでクルージングは終わりガラタ橋たもとで名物のサバサンドを食べる。とてもおいしく6リラだった。そこからトラムに乗ったり、歩いたりしてホテルに戻る。今日はこれから自由時間で、明日のレースのためにおにぎりを作ったり、休養したり夕食までは自由に過ごす。 ディナーはガラタ橋たもとのきれいな豪華なレストランで、35リラのトルコ料理を食べた。 明日はレースのため、早めに寝る。 |