中国・万里の長城マラソンと中国の旅 武藤 翔峰 平成27年5月21日
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4月29日(水) 晴れ 4月30日(木) 晴れ 5月01日(金) 晴れのち雨 5月02日(土) 晴れ 5月03日(日) 晴れ |
朝4時過ぎに於き5時前に家を出る。竹鼻駅から名鉄に乗りセントレアに着く。中国東方航空MU744便は定刻通り9:00に出発、10:50に青島(チンタオ)に着く。ここで一旦荷物を全て持って機外に出て入国審査を受け、パスポートに入国印をおしてもらう。そして再びセキュリティを通って今度は国内便扱いのMU744に乗る。青島を11:40に出発、北京には12:55に定刻通り着く。中国への入国審査は青島で済ませているので預託荷物をピックアップして地下鉄、機乗線に乗り、2号線に東直門で乗り換え、さらに4号線に西直門で乗り換え国家図書館で降りる。ここから今日から5泊するChina
Meteorological(気象) Administration(管理) Hotelに向かう。5泊で1190元(1泊、4700円)だ。まだ3時過ぎだったので、神舟ホテルの万里の長城マラソン事務局に行き、ゼッケンをピックアップし、重松さんに会い、主催者の朱さんにも紹介してもらう。重松さんにはクレジットカードで1000元(20000円)のキャッシングの方法を実地で教えてもらい両替し、そこからセブンイレブンに行って夕食やビール、その他必要なものを購入した。 ホテルはバスタブもあり、立派なホテルでひと安心だ。 |
今日は天安門広場と故宮を観光する予定。 朝ホテルの朝食をとり、地下鉄で天安門広場に向かう。地下鉄4号線に国家図書館から乗り、宣武門で地下鉄2号線乗換 ⇒ 前門で下車する。天安門広場に行く道順が良く分からなかったが、地図、磁石と人の流れをよく見て地下に降り進む。大勢の人でセキュリティを通るのも大変。天安門広場から故宮へ進む。故宮の入り口は午門のみ。ここも人が多くゆっくりはしていられない。とにかく広く、巨大だ。明日のマラソンもあるので余り疲れても困るので、2時過ぎには故宮を出てトウクトウクで地下鉄駅に向かう。3時半からのマラソン説明会に出席。世界各地から来ている超人ランナーたちと歓談、持ってきた浮世絵の写真をプレゼントすると喜んでくれた。そのあと、日本人ランナーたち25名ほどでマラソン前夜祭に出席、多いに盛り上がった。 去年フル百のホノルルツアーに参加していた松崎さんが、フル百の走友のサプライズ応援のため来ていましたが会えず、急遽レースに参加すると言うことで再会した。 そのあと、セブンイレブンにより明日の朝食のおにぎりなどを購入、早めに就寝した。 。 |
朝2時半に起床、何も食べずすぐホテルを出発、集合の3時15分までに神舟ホテルに着く。バスに乗り込むが予定の3時半になっても出発しない。ランナーが座れ切れないという。1時間近く遅れ、他のホテルに出発、そこで座りきれないランナーを振り分けるのだと言う。ノンビリしたものだ。別のホテルに着き、ようやく解決してスタート地点に向かう。結局マラソンスタート6:00の予定が1時間半ほど遅れ7:30にフルマラソンがスタートした。上り口まで少し取り付き道路を走り、そこからいよいよ急階段を上っていく。最初の1周目は金山嶺長城を15q走り、2周目は東西2.5qづつカットした10qを走りあと、長城5qを3周、残り2q走って42.195qを走る過酷なマラソンだが、最初の1周目からとんでもない急な上り下りが連続する。そのうち、後からスタートしたハーフマラソン、10km、5kmのランナーもどんどん追い抜いていく。もうこれは1周だけで精一杯かと思いノンビリ、怪我のない様進む。とにかく1周15kmに7時間もかかり、残りの距離を走る時間がなくなったので、15kmで種目変更となる。しかし、金山嶺長城の15qを辿ることができ大満足だった。おまけに完走テープを切り、完走メダルも掛けてもらうことができた。アットホームな大変良い大会でした。 ゴールするころ(3時過ぎ)から雨も激しくなり、レストランでビールやパスタを食べた後、バスに乗り込む。 私は1周回でリタイアし比較的早い時間にバスに乗ろうと駐車場に行った。スタッフがいて、マラソンバス?と聞くとYesと言ったので安心してバスに乗りました。後からも続々とランナーが乗って来て満席となり、無事発車、15qながら無事にゴールで来た喜びで気持ちよく寝て、ホテルに着いてびっくりした。ホテルは神舟ホテルではなく、別の全く知らないホテルでほとんどが外国人ランナーでどうやって神舟ホテルまで帰ろうか途方にくれた。一人だけ中国語に堪能な日本の方がいて、タクシーを頼んでくれ無事、ホテルに戻ることができた。タクシー代、60元くらい。説明会のときは帰りのバスは満車になり次第発車しますということでしたが、実際は神舟ホテル行きと別の外国人の泊まっているかなり離れたホテル(溢れて乗れない人を載せるため、朝寄ったホテル?)行きの2種類があることを説明しておいた方が迷う人が出なくてよいと思う。自分の乗ったバスの神舟ホテルに戻るバスに帰りも乗ってくださいと伝えた方がいいと思います。
また、ボランティアの方のコース指示が間違っていて、違うコースを走らされたというランナーがかなりいた。本来のコースは塔21からまっすぐ三眼楼まで行ってU ターンして塔21で右折して五眼楼まで行くが、Uターンして戻ってきたランナーに右折せずまっすぐ行くように指示され五眼楼方向へ行かなかったランナーがいた。その日本人ランナーは自分で気が付いて自分に意志で五眼楼方向へもう一度行った。 その日本人ランナーの話によるとまたがったコースを支持されたランナーは他にもたくさんいたとのこと、五眼楼方向のエイドの休憩のとき聞いた。
また、私はかなり遅く走っていたが、最後の三眼楼から折り返して走っているとき、2度目の三眼楼まで行く外人ランナーに3人会った。一人からは本当にこのコースでよいのか尋ねられ本人も不審に思っていたようだ。
要は、大切なのは自分で走るコースをしっかり頭に入れておき、間違った方向を指示されてもいやこっちでしょうと逆にスタッフに間違いを指摘すべきだと思う、そして、間違っていればもう一度正しいコースを走ればよい。
小さなミスはあっても、アットホームでとても楽しい大会でした。 万里の長城マラソン 動画 By 重松さん |
今日は、現存する世界最古の皇室御苑”北海公園”と天壇(てんだん)公園、圜丘(かんきゅう)を観光する。 北海公園は、故宮の西北、景山公園の西隣に位置するかつての御宛、皇室の御苑「皇家園林」とされて発展してきた。湖が掘られ山が作られ、相前後して瓊華島、廣寒殿、白塔、永安寺などが建てられた。特に清の乾隆帝の時代には30年間に渡りキ瀾堂、萬佛樓など多くの亭台楼閣と九龍壁が造られた。 南端の団城の3つに分かれている、この公園の歴史は古く、今から千年前の遼代に遡る.北京上の建設とともに御宛の拡張整備され、歴史上貴重な文物や壮大な建築群が残っている。 今では小さい遊園地もあり市民の憩いの場として、また中国内外の観光客を集め、夏はボート、冬はスケートを楽しむ行楽地にもなっている。中国古代神話の仙境をイメージして造られた御宛というだけあって、池と丘、そしてその中に点在する建築群が絵のように美しい.夏以外はあまり雨の降らない北京では、豊かに満ちた水を目にするだけで心がなごむ気がする。 地下鉄6号線「北海北」で降り、北海公園へ向かう。途中、お尻の部分に穴の開いているズボンをはいた小さな男の子に出会った。 中は広大で全部回るのに2時間ほどかかった。そこを出て近くの地元の食堂で麺類を食べ、地下鉄5号線「天壇東門」で降り、天壇(てんだん)公園、圜丘(かんきゅう)を観光する。 天壇は昔、天を祭った場所である。北京にある「壇」建築(日壇、月壇、地壇、社稷壇、先農壇)の中天壇の面積はきわめて広い。総面積はは270万u、故宮のそれの4倍を超える。鳥瞰すれば、建物は「回」の字型に配されている。内外の二つの壁が敷地を囲み、外壇(外壁)の長さは6416m、内壇(内壁)の長さは3292m。外壇の門は当初、皇帝が祭天のときに出入りした正門(西門)だけだった。また、内壇にははじめから、東西南北に置かれた四大門の「天門」があった。天壇の壁は北側が半円形、南側が方形である。古代中国の「天圓地方」(天は丸く、地は四角い)の宇宙観を表したものである。 内壇の内側は、南北二つの部分に分かれる。北部は、紺色の瑠璃瓦に金色の玉をもつ円形の殿堂--祈年殿、それと祈谷壇(祈年壇の土台の部分)を主とする建築群。旧正月に豊穣を祈る祭礼に使われた場所だ。南部は、漢白玉(大理石の一種)で築かれた祭天台--圜丘壇を主とする建築群。夏至には雨を乞い、冬至には天を祭る行事に使われた。 石板を敷いた大道の丹陛橋は、南北を貫いている。南部と北部の建築群を結びつけたものである。天壇の中軸線で、ここに置かれた圜丘壇や皇穹宇、祈年殿などの建築物は、壮観である。近くの山側に展望台があって、慶良間の美しい海と島々を眺められる絶景ポイントになっている。 天壇は圜丘、祈年殿、皇穹宇をあわせた総称で1998年に世界遺産に登録された。 |
今日は西は遼寧省から東は青海省まで、中国各地に点在する万里の長城スポットのうち、最も早く一般公開され、観光地として設備が整った長城といえば北京郊外に位置する八達嶺。遙か彼方まで延びゆく長城が見渡せ、「最も美しい長城」と称す八達嶺長城を訪れる。 北京のお月様は満月でとてもきれいです。 もう一つの万里の長城、八達嶺長城に行ってきました。 |