地球の走り方:東南アジア6ヶ国走り旅





武藤 翔峰   平成26年5月17日





平成26年2月24日(月)から3月25日(月)まで1ヶ月、寒い日本から脱出し、暖かい南国で1ヶ月過ごしたいと考え、東南アジア6ヶ国を一人旅で訪れてきました。

東南アジアは乾季のこの時期、雨は一滴も降らず毎日35度以上の乾燥した猛暑が続いています。一方雨季には毎日大量の雨が雨が続き洪水になるそうです。大気は汚染し空気は汚く、水もまた汚くて飲めません。そして道路にはゴミが溢れ返り、野良犬が歩き回っています。貧しい人々はこのような劣悪な環境の中、物売り、物乞い、タクシーやトウクトウク、馬車のドライバーなどで必死に生きるため懸命に働いています。

特に私が滞在した1泊800円〜1400円の安宿の周辺には、汚い身なりで裸足で歩く子供たちも学校にも行かず懸命に働いている姿を見ました。豪華なホテルに泊まるパッケージツアーでは絶対に近づかない危険地帯ですが、私は毎日このような貧しい人たちの実際の姿に接してきました。

それに引き換え、四季が規則正しく訪れる日本は、空気もきれい、水も飲める、ゴミは定期的に回収してくれる、そして何よりも豊かで平和で暮らしやすく、世界最高の国だと気づきました。それが今まで当たり前だと思っていた日本での生活が、東南アジアの人々にとっては天国のような生活なのです。

病気になって健康の有難さを知るように、東南アジアの貧しい人々の生活にじかに触れてみて、改めて日本の素晴らしさを再認識しました。
毎日の愛犬との散歩、庭や家庭菜園の手入れ、気持ちの良いジョギング、家族との何気ない会話など、普段の生活の中にこそ最高の幸せがあることを知りました。

普段のこの何気ない生活の中の最高の幸せ以外に、これ以上の何か特別の贅沢を求めることは東南アジアの貧しい人々に対し、申し訳が立ちません。
その思いをユニセフ協会などに寄付して、このような人たちの暮らしが少しでも楽になるよう、今後は自分自身の愚かさを戒めていきたいと本当に感じました。

使い残した現地通貨(ベトナムドン、カンボジアクエル、タイバーツ、ラオスキップ、ミャンマーチャット、マレーシアリンギッドなど)があったので、空港のドネステーションボックス(寄付箱)に寄付してきました。これで少しは、気持ちは晴れました。

ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、マレーシアなど世界遺産に代表される観光地は素晴らしいところでしたが、一方で、このような貧しい人たちとの触れ合いで得られたこの思いをこれからも大切にして生きて行きたいと思います。


以下、10,000枚以上写した写真の中から厳選した写真とその紀行文です。









カ ン ボ ジ ア 編





ベトナム編
タイ、ラオス編
ミャンマー、マレーシア












3月3日(月) 晴れ
3月4日(火) 晴れ
3月5日(水) 晴れ
3月6日(木) 晴れ
3月7日(金) 晴れ









3月3日(月) 晴れ

バスは予定通りホーチミンに着いたが、場所は聞いていたところとは違う公園の横に着く。そこから歩いてゲストハウスに向かう。コーヒー1$、ホー350円を頼み朝食をとる。今日着くプノンペンのゲストハウスにメールを送り、予定通り着くと連絡。
9時半に集合場所のTNTトラベルオフィスに荷物をピックアップして行く。
ホーチミン10:00 → プノンペン16:00 13$ のバスに乗車。国境へは12:20に着く。パスポートを預け荷物を全部持って下車。ベトナム出国は何もなし。スタンプ押すだけ、入局保留にされた入国時とはえらい違いだ。カンボジア入国も簡単であらかじめ e-Visa のプリントアウトを見せ通過、別の建物で入国スタンプを押してもらう。乗ってきたバスが近くに停まっており、手続きが済んだ人から乗車して全員揃ったところでプノンペンに向け出発、予定通り16時過ぎに到着。トクトクと交渉し、200円でゲストハウス:Okay Guesthouse Phnom Penhまで送ってもらう。3328円(2泊)で予約済み。

ベトナムから無事国境を越え、カンボジアにやって来た。
カンボジアの首都、プノンペン、今からつい35年ほど前に、”カンボジア大虐殺”と言われるポルポト政権による大虐殺の行われたところだ。
今なお、プノンペンに暮らしている人たちも貧しい。足を失った人が這いずりながら道路を渡っている。
800万の国民のうち、300万が虐殺されたという。このような悲劇を目の当たりにして、のどかな平和な日本に帰ると、このような人たちのためにも、前向きに、強く生きなければ・・・・・と考えてしまう。

カンボジアの首都、プノンペンは、1975年のポル・ポトの政策により人々は地方への移住を強要され、町は無人化して荒廃。続く内紛などで次第に廃墟と化していったが、1993年に新生カンボジアが誕生すると、シアヌーク殿下が王位についてプノンペンに帰還。以来、町は再建に向かい、町の中心部は清潔で美しくなった。特に、独立記念塔が立つあたりは公園になっており散策に最適。

夕方だったので、近所を散歩し明日の1日市内観光ツアーに備える。


































































































3月4日(火) 晴れ


今日はツクツクによるプノンペン市内観光$22の日だ。8:00にホテルまで迎えに来てくれる。その前にシェリムアップ行きのバスチケット$10を購入する。 

観光は王宮や国立博物館、トゥール・スレン博物館(かつて高校だった場所。ポルポト派のクメールルージュがインテリを監禁して、拷問する場所として使った。現在は博物館になっている)、キリング・フィールド (Killing Field) (プノンペンの南西約15kmにあるチュンエク村は、ポル・ポト時代の1975〜78年に、処刑場となっていた場所。刑務所に入っていた人々はここに連れてこられて処刑された後、穴に次々と投げ込まれ、埋められていった。遺体は現在、掘り出され、慰霊塔には約9000の頭蓋骨が安置されている。)などを巡る。

最初にキリングフィールドに行く。【 キリング・フィールド 】
入場料US$5|08:00〜17:00|無休
プノンペン郊外約12kmのチューンアエク村にある、ポル・ポト時代(1975〜1979)の虐殺現場のひとつ。のどかな道をしばらく走ると慰霊塔が見えてくる。その慰霊塔の中にはこの地で処刑された方々のおびただしい数の頭蓋骨が収められ、周辺の大地には今なお人骨の破片が転がっている。プノンペンから車で約30分。

次に【 トゥール・スレン博物館 】 へ行く。
入場料US$2|07:00〜17:30|無休
元は高校の校舎であったが、ポル・ポト時代には悪名高き「S21」と呼ばれる反革命分子を収容する刑務所として使われ、厳しい拷問と数々の処刑(粛清)の舞台となった。その負の歴史を後世に伝えるため、あえて当時の痛ましい傷跡をそのまま残す博物館として運営されている。

次に【 国立博物館 】 へ行く。
入場料US$3|08:00〜17:00|無休
館内は写真撮影禁止
クメール様式の赤茶色の屋根が特徴的なこの博物館には、カンボジア全土で出土したクメール芸術の粋とも言える国宝級の彫像などが多数収蔵されており、アンコール遺跡見学の前に訪れると、アンコール王朝の歴史など大変勉強になる。特に中庭に鎮座する「ジャヤヴァルマン7世」の像は必見。

昼食を食べ【 王宮&銀寺 】 へ行く。
入場料2万5000R(US$6.25)
08:00〜11:00、14:00〜17:00|無休
王宮の即位殿と銀寺内は写真撮影禁止
(持ち込み料/ビデオUS$5)
王宮は、現在、国王の公務と居住の場となっているため、特別な場合を除いては閉鎖されているが、中央の即位殿等の外観を望むことができる。
王宮のすぐ南に隣接する銀寺は、床に銀の板が敷き詰められており、宝石を散りばめた金銀の仏像や、海外の王室などから贈られた宝物が所狭しと収められている。銀寺は土足厳禁で、袖なしのシャツや短パンでの入場は不可。基本的には無休だが、王宮行事の関係で予告なしに休館になることもある。

最後に【 ワット・プノン 】 へ行き、独立記念塔を通って帰ってきた。
入場料US$1|07:00〜18:00|無休
「プノンペン(「ペンの丘」の意)」という町の名前の由来となった、ペン夫人が建立した丘が起源とされる最も歴史のある寺院のひとつ。現在も人々の信仰を集めるこの寺院は、市内唯一の丘の上に立ち、市民の憩いの場としても賑わっている。象乗りができることでも有名。中国の援助で作られた大きな花時計もある。

【 独立記念塔 】
入場不可|無休
1953年のフランスからの独立を記念して1958年に建てられた塔。塔から川寄りには緑豊かな公園が整備され、市民の憩いの場になっている。夕方には出店で賑わう。
















































































































































































































































































































































































































3月5日(水) 晴れ




今朝は朝8時15分の20人乗りミニバス(10$)に乗り、6時間ほどでプノンペンからアンコールワットの都、シェムリアップに着く。途中休憩場所でビールとつまみ2品で410円。
道中の風景は貧しい人々の暮らしで溢れている。物売りや物乞い、トゥクトゥクなどで必死に生きるために頑張っている人たちを見ると、改めて豊かな日本の有難さが分かる。
病気になって初めて健康の有難さが分かるように・・・・
今日から5日間アンコールワットで過ごし、明日から3日間のツアーに出かける。
宿泊は1泊800円の”チェンラゲストハウス”
夕方時間があったので市内のジョギングに出かけた。

豊かで平和な日本にいるとその有難さを忘れてしまう。病気になって初めて健康の有難さが分かるように、ベトナムやカンボジアの貧しい国々に来て初めて豊かな日本の有難さが分かる。色々不平不満を言うのではなく、世界の貧しい人地のためにできることをしなければならない。

ここアンコールワットは、インドネシアのボロブドゥル寺院遺跡群、ミャンマー、バガンの寺院遺跡群と並ぶ世界3大遺跡寺院群のひとつである。
12世紀前半に造られた、カンボジアを代表する世界遺産アンコール・ワット。南北約1300m、東西約1500mの塀で囲まれた内部には約600mの参道が続き、その先に中央神殿が位置する。神殿の上部に登るにつれ神々の世界に近付くとされる回廊には、インド古代の叙事詩や神々の戦いを描いた壮大な彫刻が見られるのでの写真撮影も必須です。ここでは、3日間のツアーに参加する。































































3月6日(木) 晴れ

1日目:
朝:アンコールの古代の首都クメールは今日、アジアの中でも注目すべきで印象的光景の1つだ。
600年もの間、アンコール帝国は地域で無敵で、ジャヤーヴァルマン7世など多くの国王の下で、クメール王国は芸術的にも比類なき功績を残した。
これらの中で最も重要であるのは、12世紀に建てられた寺院、アンコールワット。寺院周辺の巨大な堀を渡る長い砂岩の道(Sandstone Causeway)は訪問者にヒンズー教、クメールの伝説、その芸術性に思いを馳せさせる。
その後要塞都市アンコールトムの壮大なサウスゲートを通ってバイヨン行く。バイヨンにはヒンズー教の神、アヴァロキテシュワラの顔をした200以上もの石像があり、アンコールの最も劇的な光景の1つとされている。
すぐそばにある「象のテラス」は王宮前広場に面して南北方向に延々と続く長大なテラスの呼び名。こちらも注目すべき観光地の一つだ。
午後: ジャングルに覆われた寺院、タ・プローム・ケルには巨大に曲がりくねる根が建物、回廊、崩れかけの塀に絡み付いている。 一度は600以上のダンサーの為の住居でしたが現在は高くそびえているジャングルツリーと金切り声で叫ぶオウムの群れのものとなっている。
夕方 : アプサラ・ダンス・ショー(ディナー付)

世界遺産アンコール・ワットは、カンボジア中央部に広がるトンレサップ湖畔の町、 シェムリアプの北に位置する東西22km南北35kmに渡る広大な遺跡群である。
これらを築いたのは9世紀から15世紀にかけて繁栄したアンコール王朝(クメール王朝)。 アンコール王朝はこの地に首都を置き、数多くの建物を建造した。
しかし西のアユタヤ王朝から度重なる攻撃を受けアンコール王朝は衰退。 1431年、アンコールはついに放棄されてしまう。
その後アンコールはジャングルに埋もれ、地元のわずかな人々のみが知るのみであったが、1860年、フランス人博物学者のアンリ・ムオーがそれを発見、 報告書を発表したことでアンコールは再び日の目を見ることになった。
20世紀に入ると、当時カンボジアを統治していたフランスが 荒廃していたアンコールの修繕を開始するが、 それはカンボジア内戦により1972年に中断。放置せざるを得なくなってしまった。 カンボジアに台頭したのは極端な共産主義者であったポルポト率いるクメール・ルージュ。
すべての文明を否定したクメール・ルージュは、 民衆を強制的に農村へ移住させ、通貨を廃止し、あらゆる宗教も禁止した。 そのためアンコールはクメールルージュによる破壊の対象となった。 また、内戦でアンコールが被った被害は、物理的な損害だけではない。
クメール・ルージュは、すべての知識人を反乱を起こす可能性があるとして処刑した。 殺された人々は、当時のカンボジアの人口の3分の1である300万人であったという。
処刑された人々の中には、遺跡の保護や修復などに関わっていた貴重な人材も含まれていた。
アンコールに存在する遺跡群の中でもっとも有名なものは、いわずと知れた12世紀の寺院建造物、アンコール・ワットであろう。
アンコール・ワットは現在カンボジアで信仰されている上座部仏教の寺院であり、 インドネシアのボロブドゥル、 ミャンマーのパガンと並び世界三大仏教遺跡と称されているが、建設された当初は当時アンコール王朝が信仰していた、ヒンドゥー教と大乗仏教が混合した宗教の寺院であった。 境内は南北1300m、東西1500mの広さであり、周囲は壕がめぐらされている。 中央祠堂は三回廊から成っており、第一回廊と第二回廊には精密なレリーフが残されている。
そのモチーフは古代インドの叙事詩であるラーマーヤナや、 ヒンドゥー教の天地創造神話である乳海撹拌などといったヒンドゥー神話、当時の王の様子などである。
また中央祠堂第三回廊には先頭がそびえているが、これは須弥山を模しているという。
インドネシアのボロブドゥール、ミャンマーのバガンとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されている。
暑くて暑くて、真夏の郡上八幡マラニックよりきつかった。



















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































3月7日(金) 晴れ


2日目
今朝はアンコールワットからの日の出を写すため、5時起床で出かけた。お陰でアンコールワットから上る綺麗な日の出を撮ることができた。遺跡巡り二日目は、郊外のバンテア・スレイとバンテアイ・サムレの2か所に行った。昨日の暑さに懲りて、長袖、ロングタイツの完全真夏マラニック型。濡れて冷たい手ぬぐいがあればいいが、そこまではしなかった。

遺跡の中では小さなバンテアイ・スレイを訪れる。 バンテアイ・スレイは複雑で赤みがかった砂岩の彫刻を特徴としている。バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する。
午後:Vニャックポアム、 タ・ソム、バンテアイサムレ、 プリヤ・カーンなどアンコールエリアを訪れる。夜:プノム・バケンかPreah Rupから日没を眺める。



































































































































































































































































3月8日(土) 晴れ




3日目
昨日まで2日間に渡ってアンコールワットの遺跡群を訪ねてきた。その中で最も印象に残ったのが、バイヨンだったので、今日は再度バイヨンを訪れ、ほとんど半日一杯、写真撮影を行った。中でも、54もある観世音菩薩の顔に心が洗われるようであった。そのほとんどの観世音菩薩の顔を写そうと、望遠レンズやズームレンズに取り換えて撮影した。
一方では、学校にも行けず、家族にも見てもらえず、子供たち同士が貧しく片寄せあって暮らしている姿に心を打たれた。
また、遺跡群や湖にコース設定されているアンコールワット国際マラソンのコースも走ってみた。

アンコールワット国際ハーフマラソン
アンコールワット国際マラソンは、カンボジアの世界遺産「アンコールワット」の遺跡内部で開催される国際レース。1996年に第1回大会が開催された。本大会はカンボジアの対人地雷被災者救済のためチャリティマラソンであり、世界に向けて「非人道的な対人地雷の使用禁止」を訴え続けるために毎年開催されている。健常者だけではなく、地雷の被害者となったランナーも参加する勇気と希望がシンボルの大会で、昨年2012年は6000人以上もの参加があった。

今日はカンボジア最後の日、夕陽を写しに行ってきた。明日からタイ・パタヤに移動する。

明日の移動に備えて支払いをしようと明細を尋ねた。
約束していたのは、3日間のツアーで、全て込みで55$だった。ところが、ツクツク代を別途請求されてしまった。1日目:20$、2日目:25$、3日目:20$、計65$を払えという。全て込みのはずではなかったかと言っても、相手は聞かず怒り出す始末。もうこれは無理だと思い、半分の32.5$で手を打つことにした。まー3500円ほど損したが勉強代だと思って諦めた。
海外では、買ったりサービスを頼む前に事前に、これはいくらですか?これは料金に含まれていますか?これは支払い済みですね?とその都度確認することが大切だ。
結局、アンコールワット入場料40$(3日間通用)、ツアー代55$、追加ツクツク代32.5$合計127.5$がアンコールワット観光費用となった。宿泊料は1泊8$、パタヤまでのバス代18$も別途支払った。

それにしてもこのゲストハウス”チェンラゲストハウス Chen La Guest House”は、ひどいゲストハウスだ。事前に何度もメールでやり取りしていたが、全て込みで3日間ツアー55$のみでツクツク代は別料金とは1回も言っていない。また、ツクツクに乗る前もこの料金は別だとも言っていない。
全て込みで3日間ツアー55$だけを言って、後からツクツク代65$も取るとは、ぼったくり商法、詐欺商法も甚だしい。このゲストハウスが、agoda、booking.com などのリストに載っていないこともよく理解できた。
でも多くの日本人がここに泊まっていたが地球の歩き方を見て来たのだろう。




























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































3月9日(日) 晴れ




今朝は6時過ぎに起床。朝食後、荷物整理して7:30にフロントで待つがバス停までのピックアップバスがなかなか来ない。40分ごにツクツクが着てようやくバス停まで送ってもらった。そこでバスに乗り途中1回の休憩をして国境の町に着く。荷物を全て持ってカンボジア出国の手続きへ。大勢の人が並んでいて大変混雑した。出国カードに記入していなかったため少し時間が無駄になり、やっと出国スタンプを押してもらう。そのあと、数百メートル歩きベトナムの入国手続きへ。ここでもかなり時間がかかり入国スタンプをもらう。次にパタヤ行きのバスを見つけなければならない。まずツクツクに乗ってバス停へ行く。そこでパタヤ行きの大型バスの乗り換えた。途中給油休憩のため40分ほどかかる。パタヤに着いたのは21時半過ぎだった。そこからタクシー200Bでゲストハウスに行く。ようやくほっとした瞬間だった。
ゲストハウス:Nuan Cofe & Guesthouse 4005円(3泊)


























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