武藤 翔峰 平成26年5月17日
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ベトナム編 カンボジア編 ミャンマー、マレーシア編 |
3月10日(月) 晴れ 3月11日(火) 晴れ 3月12日(水) 晴れ 3月13日(木) 晴れ 3月14日(金) 晴れ |
タイ・パタヤ 今日は1日ノンビリとパラレルチェアデッキ(50B,150円)に座り、泳いだり、海を眺めていたりノンビリ過ごす。何もしないしあわせも少し身についてきた。夕食はセブンイレブンで弁当とビールを買う。 とにかく何もしない一日だった。 |
タイ・パタヤ 朝6時からパタヤ海岸を10km走る。その後、明日の移動に備えて南バス停に歩いていった。しかし、イコマイ行きのバスは北バス停空の出発とわかり、この確認は重要だった。 今日も一日ノンビリ過ごし、夕食は照り焼きチキン弁当とビール。 |
タイ・パタヤ → ラオス・ビエンチャン 昨日調べた通り、北バス停にタクシー(200B、600円)で行く。そこからバンコク・エコマイ行きエアコンバス(124B)に乗り2時間でエコマイに着く。エコマイからはエアーシャトルがあり、ドンムアン空港に行ける筈だったが、いくら探しても、聞いてもエアーシャトルはないという。やむを得ずタクシー(言い値は400Bだったが300Bまで値切った)に乗り、13:30にLCC専用空港のドンムアン空港に着く。 Nuan Cofe & Guesthouse09:00 ⇒ バスターミナル09:30 タクシー 200B(600円) バスターミナル10:00 ⇒ バンコク東バスターミナル、エコマイ12:00 エカマイ12:30 ⇒ ドンムアン国際空港 13:30 バンコク DMK 21:00 AK1949 ⇒ クアラルンプールKUL 00:15 空港泊 空港発は21:00なので十分時間はある。 日程を見ていて気が付いたが、3/18(火)ビエンチャンからのクアラルンプール着は13:30で次のヤンゴン行きは15:40で2時間10分しか待ち時間がない。このため、15:40発を17:20発に遅らせ3時間50分の待ち時間に伸ばす変更手続きを行った。気が付いたことも素晴らしいが、すぐに対策を実行に移したことも素晴らしいことであった。もし、この対策を行わなかったら、3/18(火)ヤンゴン行きの便に乗れず途方にくれるところであった。 エコマイ駅からドンムアン空港までシャトルバスがないことも驚きであったが、すぐタクシーに切り替え、しかも400Bを300Bに値切った。段々トラブルにも強くなっていき、これならいつでもどこでも1人で世界一周できるというものだ。 |
クアラルンプール → ラオス・ビエンチャン クアラルンプール空港で4時半に起き、チェックインし荷物を預けマクドナルドでハンバーガーを食べようと注文したが、マレーシアリンギッドの持ち合わせがないことに気が付いた。すると会計のやさしい女性がどうぞと無料でハンバーガーを渡してくれた。やさしい親切なマレーシアの女性、マレーシアを見直した。 6:55から搭乗開始し、3時間かけてビエンチャンに着く。飛行機の中で入・出国カードの記入を済ませておいた。 予定通りビエンチャンに着く。カウンターでタクシーチケットを7$で買い、約15分でゲストハウス:Mixok Innに着く。1泊1720円。着いてすぐルアンパバーン行きの夜行寝台バスチケットを購入。2600円。帰りはルアンパバーンで買ってくれとのこと。 ラオスの首都であるヴィエンチャンは、メコン川沿いに作られたラオス最大の都市で、16世紀の半ばごろにセタティラート王King Setthathirat(1548-1571)により首都に定められた。そして現在も政治、経済の中心地で、空路、陸路での出入国のメインゲートともなっており、他の県とは違う行政特別市となっている。1999年6月からは、日本政府の無償資金協力によってできたワッタイ空港新ターミナルが利用されている。街並みはフランス植民地時代の古い建物と並木道、そして数多くの仏教寺院が混在し、アジアと西欧文化の融合が見られる。17世紀にヴィエンチャンを訪れた東インド会社の商人、Geritt Van Wuysthoffやイタリアの伝道師Leria de Mariniらは当時のヴィエンチャンを東南アジアでもっとも荘厳な町であると評しているが、現在もその面影を見る事が出来る。 この旅も13日、ラオス・ビエンチャンで日本を出てから18日目、折り返しを少し過ぎ、あと、ラオス、ミャンマー、マレーシアが残っている。 昼食はフォーを食べる。その後、トクトク(500円)でタート・ルアン(黄金の仏舎利)へ行く。 タートルアン(That Luang)はラオス仏教の最高の寺院で、ラオスの象徴とも言える。伝承では3世紀頃インドからの使いの一行がブッダの胸骨を納めるためにタットルアンを建立したと伝えられるが、定かではない。その後、1566年にセタティラート王(King Setthathirat)により、四方を四つの寺院に囲まれる形で再建されたが、現在は北と南の寺院が残るのみである。北の寺院、ワットタートルアンヌアはラオス仏教界最高位の僧侶の住まいである。1828年にシャムの侵攻により損傷を受けたが、1936年に改修されて現在に至る。 それから歩いてパトゥーサイ(凱旋門)Patousayに向かう。ここで地元の若い女性と知り合いになり写真を写す。良い英会話の勉強になった。 ランサン通りLane Xang Ave.にあるパトゥーサイPatousayはパリの凱旋門を模して作られた。ラオス語でパトゥーとは「扉」「門」の意味、サイとは「勝利」の意味である。下から見上げた天井にはラオスの典型的なモチーフ、神々や3頭の像などのレリーフがある。もともとは戦没者の慰霊碑として1960年から建設が始められ、新空港建設に使用されるはずだったセメントで建てられたものである。朝の8時から夕方5時までの間は上に上ることが出来、ヴィエンチャン市内を一望できる。 ワット・シェンクアン(ブッダパーク) Wat Xieng Khouane ヴィエンチャン市街からメコン川に沿って下流方向へ約24キロ、友好橋の近くにある。ワット(寺院)という名前がついているが、実際にはコンクリート製の様々な仏像等がある。その他にも天上界、地上、地獄を表現した3層の建物があり、屋上からブッダパーク全体を見渡せる。 夕食前にメコン川河畔から夕陽の撮影に出かけた。大勢の市民も日没を眺めながら、体操をしている。東南アジアの国々の中でも比較的、生活に余裕がありそうだ。夕方ジョギングしている市民も多い。ここビエンチャンは、これまで滞在した国々とはちょっと、雰囲気が違うような気がする。洪水のようなモーターバイクのラッシュもないし、今までの国々のような貧しさも表面的には見えない。首都ビエンチャンのせいなのか。 ゲストハウスに戻りシャワーを浴び、近所のレストランでチャーハンを食べ早めに寝る。 |
ビエンチャン → ルアンバパーン 朝食後、歩いてワットホーパケオとワットシーサケートの2ヶ所を訪れる。 ホーパケオ Ho Pha Kaew 1565年にセタティラート王の命により、建立された。王の父、ランサン王国のボティサラート王の死により、セタティラートが王位を継承後、王国の首都をルアンパバンからヴィエンチャンへと遷都した。その折、エメラルド仏(パーケオ)を旧王都から移し安置したのがこの寺院である。当初は王の祈りの場所として建立された寺院であったが、1779年、シャム王国との戦争によりた建物は焼失し、エメラルド仏は持ち去られた。1936年に現在の建物がフランスによって再建された。現在は博物館として使用され、国内各地から集められた仏像などが並べられている。中庭にはジャール平原から運ばれた石の壷もある。 ワット・シーサケット Wat Sisaket ワットシーサケットは1818年、King Anou Vongによって建立。ヴィエンチャン最古の寺院で、市内で唯一、建立された当時のままの姿を保つ。本堂と回廊の壁を合わせると6,840もの仏像が安置されている。その殆どはが度重なる戦いによって、目に嵌め込んでいた宝石類や頭部の金細工等が取り去られているが、一部残っているのもある。 昼食はゲストハウスのレストランでチャーハンを食べ、歩いて国立博物館に行った。 夕方6時にルアンパバーン行きの寝台バスの迎えが来るのでそれまでノンビリ待つ。 迎えのバスに乗り、バス停に行く。どのバスに乗るのか良く分からなかったが、地元の青年が親切に教えてくれた。偶然にも隣のベッドになった。寝台バスは予想していたよりは揺れず快適な旅だった。ベッドは1人分十分に横になれるだけのスペースもあり、よく眠れた。ディナークーポンが付いておりフォーを食べた。 |
ルアンパバンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワといい、その後シェントーン と呼ばれるようになった。カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな町ルアンパバンは、その 美しいラオスらしい町並みと、歴史的、文化的遺跡保護の観点から、1995年、ユネスコによって世界 遺産に指定された。プーシーの丘から町並みが一望でき、ルアンパバン名物でもある夕陽は荘厳だ。今やラオスの一都市というより「世界のルアンパバーン」としてその名が知られている。 朝7時過ぎにルアンパバーンに着く。ツクツクと交渉し220円でゲストハウスAung Mingara(一泊4100円)まで行った。 小休止したあと、ツクツクでワット・シェントーンへ行く。 この寺院は、1560年にセティラート王によって王家の菩提寺として建立された。 屋根が軒に向かって低く流れるように作られている、典型的なルアンパバーン様式 の建物で、ルアンパバーンで一番荘厳な寺院である。本堂裏側のタイルによって描 かれた「生命の樹」のレリーフは素晴らしく、一見の価値がある。かつては、王族の神聖な儀式に使用され、シーサワンウォン王の誕生した場所でもあり、また逝去時にしようされた霊柩車が境内に納められている。 その後、歩いて、ワットマイ、ワットセンを訪れる。 ワット・マイ・スワナプーマハムは、1796年に建立された比較的新しい寺院。五層の屋根は標準的なルアンパバン様 式。本道の扉にある釈迦の説話や、ラーマヤーナが描かれた黄金のレリーフが印象的。 この寺院の建立には、70年もの年月を費やしたといわれている。ルアンパバーン国立博物館に隣接した寺院。 午後は、王宮博物館とプーシーに行った。 王宮博物館 Royal Palace Museum フランス植民地時代の1904年に当時の王シーサワンウォンとその家族の宮殿とし て立てられた。メコン川沿いに位置し、メコンを旅してきた公式客を出迎えるた めの桟橋を備えている。現在は博物館になっており、世界各国からの贈呈品や黄 金仏などが展示されている。 プーシー Phou Si ルアンパバーンの中心近くに位置する150m程の小高い丘で、328の階段を上が りきると、頂上には1804年、アヌルット王によって建立されたタートチョムシー と呼ばれる仏塔がある。少し頑張って頂上へ上がれば、ルアンパバーンの街を一望できる。 プーとはラオス語で山のことをさす。 夕方はメコン川に沈む夕日を撮影した。 夜は8時過ぎに眠る。蚊はいたが、クーラーも良く効いて快適だった。 |
ラオスの古都、ルアンパバーン最後の日となり、早朝から托鉢僧の行列やワットビスンナラートの黄金のブッタ像などを見学した。ツクツクで130円。帰りは歩いて宿まで戻る。 ワットビスンナラート 塔の形がスイカを半分に切ったように見えることから、スイカ寺(ワットマークモー)とも呼ばれている。 当時の王、ビスンナラートによって建立され、1513年に完成した。 のどかな古い町に別れを告げ、夜行寝台バスでビエンチャンまで戻る。トクトクでバス停まで送ってもらい、予定通り20:00に出発。行きの寝台バスは4列だったが、帰りは3列2段で独立している。途中の休憩はなく食べ物が置いてあった。夜行寝台バスは日本の方が遅れていると感じた。 |
朝6時前にビエンチャンに着き、220円でゲストハウスまで送ってもらう。 朝食を食べパソコンチェック。夕方までノンビリ過ごす。 今晩はビエンチャンに泊まり、いよいよ明日から最後の訪問国、延べ76ヶ国目のミャンマー・ヤンゴンに空路移動する。 |
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